日本人のぼくらの多くは、今の経済状況をデフレと呼んでいる。それは、過去にあった物価下落時の現象の呼び名だ。
じゃあ、今の局面が過去の局面と同じかと言えば、全然違うという事は誰も反対しないだろう。
でも、物価が下落しているという一点で、人々の多くはデフレという言葉を使って、過去の処方箋を使おうとしている。
名前を付けるという行為は、その現象を一般化するという意味を持っている。
それは、共通の言語で起こったことを理解し、捉えるという事に他ならない。
逆に言えば、一般化された言葉の意味が間違っていれば過去の経験は無駄になるし、ひょっとしたら害になる可能性だってあるという事。
経済学は、後付けの学問である。それを証明するのに苦労は要らない。
経済学者の理論が正しければ現在の社会において、富豪のうちの一定割合は経済学者が占めてしかるべきだが、そんな話は聞かない。
自分が経済学を学んでいた大学生の頃も自嘲気味に経済学者で大金持ちになったのはケインズ卿くらいのものって言っていたくらいだ。
そのレベルの学問を振りかざして、ああだこうだってやっているのは、滑稽でしかない。
今をデフレと定義する連中は、そういう手合いなんだという事は知った上で、今起きている現象を観ながらどうするかって事を考える。
既存の経済学ってツールしか持たないで、それを飯の種にしている人間の言う事なんて、参考意見で聞き流しておけばいいんじゃないか。
今の日本の現象は、市場の自由化に伴う調整局面。
物価の下落は当然のことで、問題は価値の共有化(価格減少圧力が高いものと低いものの調整)である。
経済成長を目指すなら、より付加価値の高いものを創造するべきで、そこには本来、高齢化の問題なんてない(若けりゃ高付加価値のものが作れるわけじゃない)はずだ。
政治家も、マスコミも名目数値を追うんじゃなく、経済の実態を伝え、表現する方法を考えるべきなんじゃないかな?