2015年3月3日火曜日

川崎中一男児生徒殺人事件に思う

地方の島から川崎に引越してきた少年は、深夜、遊び仲間の年上の仲間に惨殺される。
殺害現場は、ニュースで報道されたせいもあるのか花やお供え物でいっぱいだ。
 彼を悼むと同時に、同じ事が起こらないために、何故それが起こったのかを考えてみたい。

人懐こい少年であったらしい。
しかし、何故彼が深夜に出歩くようになったのか。
同じ年の学校の同級生ではなく、年上の仲間と遊ぶようになったのは、学校や同級生との間に、何かわだかまりがあったんだろうか。
そして、そんな行動を同居していた家族(この場合は母親)はどう感じていたのか。

深夜に出歩かないというのは一世代前の感覚だと言う人がいる。
工場だけでなく24時間営業の店が当たり前になっている今日、そういう場所で働く人だけでなく、とり立てて予定が無い人にとっては関係の無い話だと。

子供は、深夜で歩いてはいけない。
なぜそうなのか。
一つには、その時間帯に出歩いている人たちは生業についていないとみなされてきたからだ。
もう一つ。その時間帯は人通りが少ない上、あかりの届く範囲が限られるため、人の目につかないと言う事。
それは深夜が犯罪に適した時間帯であり、そういうものに巻き込まれる可能性が高まる時間帯であるからだ。
 判断力が無い、体力や体格に劣れば、危険に遭遇した時の対応が難しい。

終夜営業の店が増えた今日の社会ではどこでも起こりえる事件であると同時に、そんな時間に遊びに行かなければ避ける事が出来た事件かもしれない。
 最も罪を背負うべきは、もちろん殺人者であり、それに関与した者たちなのは議論の無い所だが、もう一つ注目すべきは母親の生活。
 子供が学校へ出かける前に仕事のために家を出て、帰宅するのは深夜。
 それが日常であったらしいが、生活のため、仕事自体そうせざるを得なかったという話なのだろうか。
 通勤時間によるが、一つの会社で毎日そのような勤務をしていたのなら、その会社は労働基準法違反の疑いが濃い。それとも生活のためにダブルワークをしていたのだろうか。
 母親と言えど、一人の人間なので自分のやりたい事、やりたくない事はある。自分の時間も作りたいだろう。
しかし、優先順位があって、それは多分子供を育てる事だと思う。
 そこをどう考えたのか。
仮に、そのような働き方をしなければ生活が出来ないのであれば、生活ぶりはどうだったのか、賃金は適正だったのか、公的扶助はどうだったのかという社会全体の問題がある。
これは第一に社会福祉と言うより、通常に生活する上において十分な賃金が支払われていたかどうか。

株価が上昇している事を良い傾向だと喜ぶ人が多いが、もともと日本企業は株主への利益還元より経営環境の変化に備えた内部留保や再投資、従業員の福利厚生や賃金にあてる傾向があった。
現在は、株価至上主義の考え方から利益の株主への還元を強く求めるようになった結果、株価を上げるために投資家に受けの良い経営政策、利益処分を行う方向にある。
現在はその結果の株高でもある。
かつて、会社は社会の公器としての役割も求められたが、現在は公器としての役割よりも株主の利益を尊重するようになっている。
会社は誰のものかという問いの答えは立場により異なる。
しかし、会社が社会に立脚して存在する以上、公器としての役割を果たすべきなのは自明のことだと考えるが、どうだろう。
 賃金の上昇率より物価の上昇率が高く、賃金の格差も広がりつつある現在。今後もそのような世帯が無くならず、同じような事件が起こりはしないか。
 部外者で、わからない事ばかりだが、そんな事を考えた。