世の中、AIが進化して人の仕事がどんどんなくなるという話をする人がいる。
実際、仕事をしていて何かというとエビデンス(根拠・証拠)を求められることが多いから「慣例に従って」という思考停止な仕事をしていたらなおさらだ。エビデンスの集積で判断するのがAIなので、近い将来そういう仕事を人がやることはなくなるのだろうなと思う。
仕事が無くなったらどうするかという心配があるが、日本などは少子高齢化で人口が減っているし、もともと国土だけで養える人口はそれほど多くないから、かえって好都合であるかもしれない。
人の仕事は「慣例に従って」いればいい仕事は速やかにAIを導入して人手が足りない分野にシフトするのだろう。
イギリスのSF小説の大家アーサー・C・クラークの代表作の一つ「幼年期の終わり」は、異星人に管理され、高度な科学技術を与えられた人類は働かなくても生活ができ、創造的な仕事を、行いたい人がやるという世界で、人類が次の進化を迎えるという作品だけれど、実際には生活コストをどう賄うのかが問題。最近議論されているベーシック・インカムというのは、生活するのにコストがかかり、そのコストを取り込んで沢山稼ぎ納税する人がいて、それを再分配するから成り立つ話で、社会全体が働いても働かなくてもいい…つまり再分配するものが存在しない可能性があるのでは成立しない。
つまり、稼ぐ人は沢山稼いで納税し、それを原資に最低限の生活費が支給される…将来の社会はそうでなければ成立しないのではないかと思う。ただ、そこに差別や偏見があってはならないし、稼ぐ気があるのに出自や生活環境が許さないという事が起きてもいけない。
人が生活する上の経済の仕組みとして格差が生じるのはやむを得ない。格差解消のためだけの仕組みを作れば機会損失が生じて再分配できる富が減り、社会全体が貧しくなるのではないだろうか。
理想的な社会主義・共産主義が成立していない理由はその辺にあると思う。
将来的に人のやる仕事が減ることは確実な中で、一握りの稼ぐ人以外はどう生きるか。
機械でもできるが、ある程度高性能でなければできないから、人がやった方が安い…実際そういう仕事が今後ますます増えていくだろう。しかし単純作業はやりがいを見つけにくいし、何しろ賃金も安い。一握りの金儲けができる仕事は既存の組織に入ろうとすれば競争が激しく、自分で起業しようとすれば、能力と幸運が必要だ。
単純作業ではなく、自分の裁量が出来る仕事。その裁量がAIに取って代わられる社会で、いずれ何もないところから創造するという事は難しいもの。その仕組みを握る人以外は意味の感じられる仕事をすることは出来なくなるだろう。
そういう意味で自分の裁量が出来る仕事は、一人の人間として敵うことがない自然を相手にするという事なんだろう。産業としてではなく生活としての農林水産業。
晴れれば畑を耕し、雨が降れば本を読んで学習する。そういう生活が再評価される時が来るのではないだろうか。
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