先進国と言われる国々で財政危機と言われるようになって少し経つ。
財政危機とは、どう状況かと言えば、政府部門の支出が収入を上回り、このまま行けば破綻の危機になるだろうと言う予測がされること。
政府部門の主な収入源は税収なわけで、税収以上に国民にサービスをしているとも言える。
税収の範囲で政府を運用しようやって話になるのは当然だけど、ややこしいのは税収が見込みを下回った、もしくは将来の税収をアテにして国債が発行されていて、そいつの金利や償還資金も現在の税収から支出しなければならないって事。
それを計画的に何年かで返済するにしたって、ただでさえ税収が落ち込んでいるところでやるわけだから、社会サービスの量や質は落とさざるを得ない。
じゃ、増税やるかって話になるわけだけど。
ここでの問題は二つあって、一つは、なんで税収が落ち込んでいるのか。もう一つは、税収以上のサービスを行う必要があるのかって事。
後ろの方の議論は、あんまりされない。だって、政治家がそんな事言ったら選挙で落選必至だもの。でも、重要な要素だよね。それって。
てな事で、民主党の税と社会保障の一体改革って総論賛成・各論反対って事態になっている。
そんな事言う前に無駄遣い無くせよとか、議員とか公務員の数を減らせとか。
しかし考えてみれば、無駄遣いでもストックせずに使ってる分には経済を回す一助になってる。
このご時世、公務員の採用を抑えたら、さらに失業者が増えて消費マインドが冷え込んで不況に拍車をかけることにならないかい?
結局のところ、税収を上げるにはどうすればいいのかって事を考えるのが一番なんだけど・・・
ちょっと街を歩けば、走っている自家用車の数は減ったと思うけど高級車はバンバン走ってるし、高級マンションも建っている。
これって、貧富の差が拡大していることの証左。
製造業にしてもサービス業にしても原価の削減って言われてて、人件費や仕入額の削減が行われている。
これは、安いサービスを提供するためなわけだけど、ここで抜かれる利益額も減っていて、量をこなさないと満足な利益が出ないなんてことが当たり前にある。
まあ、本心からお客様に安くサービスを提供するのが目的って言う人たちの集まりなら、それはそれで満足なんだろう。
それで満足できる人が多くなれば、現状でも何とか幸せだって感じる事が出来るかもしれない。
でも実際は、自分たちが利益をあげるためな訳だから、より貧富の差ってところに目がいってしまうんだと思う。富の偏在っていうのは、経済を停滞させる一因だ。
商品を1人の人しか買えない状態と100人の人が買える状態、どちらが発展可能性があるかって話でしょ。
所得の再分配は政府の主要な役割の一つだけど、国際化する中で、自分の国だけ厳しくそれをやっても、よっぽどのインセンティブがない限り、そういうのが緩い国に富裕層が流れていく。
つまりは政府の力が弱まっているということ。
じゃ、政府の力を弱めたり、このご時世でお金を儲けたりしているのってどんな人たちかって言えば、金融に絡んでいる人たち。
彼らには、コストの削減なんて関係のない話で、適当なストーリーをでっちあげて通貨レートや株価の流れを作ってしまえば良いだけ。
何の生産性も無いけどね。
起業家にしても、事業が成功して有り余る資金を得ることができるのは、金融部門の存在なしにはあり得ない。
そんなわけで、昨年の「ウォール街を占拠せよ」という運動がされたわけだと思う。
ボーダーレスになった金融と、国という枠組みの中でしか動けない政府。そして、国際間にある貧富の差。
このギャップがある限り、多分問題は解決しない。
で、金融部門は、このギャップを利用してお金儲けをしているわけで、問題を解決してもらっては困る立場なんだよね。
この連中を何とかしなければ、多分経済は上手く回らない。
2012年3月20日火曜日
2012年3月17日土曜日
年金の補填って必要なの?
厚生年金基金に加入していた会社の倒産により、残った会社に基金の返済額が寄せられて、年金倒産が起きるって、言われだした。
そもそも、国に代わって加入者が基金を作って年金を運用するって仕組みを始めた時に、この事態を想定していなかったという、お粗末な話なんだけど。
自分が思うに、国より効率良い運用をして儲けようという理由で、自主運用部分を設けてもらう形で基金が設けられたなら、当然、損をしても自分らで被るべきで、いまさら救済を求めるのはおかしい。
すでに年金を受け取っている人たちも、基金が解散したなら、その分は受け取れなくて当たり前だと思う。
自分が儲ける事だけに目がくらんで、失敗した時の事を考えなかった事は、責められても仕方がない。
それは経営者側の問題で、働いている従業員には関係ないというかもしれない。
しかし、厚生年金基金の有無は、会社情報として知ることが出来るし、人によっては厚生年金基金があるからという理由で入社を決めた人もいるわけで、従業員も無過失という事にはならない。
将来の利益を当てにしたという意味では、責任が無いとは言えないということ。
また、退職した人についても、確定利回りだという事を振りかざすだけでなく、現実の運用実績を見て、譲るべきは譲らなければ、差額は誰が負担するのかという事を考えるべき。
正論を言うのが役所の役割だし、そういう立場で判断をして舵を切るというのは、政治の役割。
反対が多くて難しいと言って、負担を広く浅くと、誤魔化して関係の無い人を無条件に巻き込むというのは、最悪の決断だ。
そもそも、国に代わって加入者が基金を作って年金を運用するって仕組みを始めた時に、この事態を想定していなかったという、お粗末な話なんだけど。
自分が思うに、国より効率良い運用をして儲けようという理由で、自主運用部分を設けてもらう形で基金が設けられたなら、当然、損をしても自分らで被るべきで、いまさら救済を求めるのはおかしい。
すでに年金を受け取っている人たちも、基金が解散したなら、その分は受け取れなくて当たり前だと思う。
自分が儲ける事だけに目がくらんで、失敗した時の事を考えなかった事は、責められても仕方がない。
それは経営者側の問題で、働いている従業員には関係ないというかもしれない。
しかし、厚生年金基金の有無は、会社情報として知ることが出来るし、人によっては厚生年金基金があるからという理由で入社を決めた人もいるわけで、従業員も無過失という事にはならない。
将来の利益を当てにしたという意味では、責任が無いとは言えないということ。
また、退職した人についても、確定利回りだという事を振りかざすだけでなく、現実の運用実績を見て、譲るべきは譲らなければ、差額は誰が負担するのかという事を考えるべき。
正論を言うのが役所の役割だし、そういう立場で判断をして舵を切るというのは、政治の役割。
反対が多くて難しいと言って、負担を広く浅くと、誤魔化して関係の無い人を無条件に巻き込むというのは、最悪の決断だ。
2012年3月4日日曜日
ぼくたちが失ったもの
今日、街を歩いていて、ブック・オフ(大手のチェーンの古本屋さん)から出て来た若いお母さんが小さな子供に言った言葉を聞いて、とても悲しくなった。
「あっちの本屋さんは、高い本屋さんだから。」
出版関係の世界にいた事がある自分としては、ちょっと待ってよ。それが正しい値段でしょって言いたくなる。
でも、確かに多くは無い収入の中で、ひょっとしたらパート勤めのお母さんの月収の十分の一以上するかもしれない本は贅沢品だ。
一方、自分は正社員で、飲んだくれて、好きな本を読み、好きな映画を観て・・・。
今の社会は、そういう格差を生んでいる。
誰のせいなのか。何が原因なのか。
分かったところで、ぼくは何をする事も出来ない。
なんでこんな社会が出来てしまったんだろう。
多分、自由主義だとか、資本主義だとかいう言葉に縛られて、ぼくたちは人間として大切なものを失った。
それは、人を思いやる気持ちと行動力。
自分の損得を越えた、社会としての幸福の追求。
去年3.11の震災は、とても不幸な事だけれど、それに気づく契機を与えてくれたと思う。
でも、未だにそれに気づいていない人が大多数のような気がする。
「あっちの本屋さんは、高い本屋さんだから。」
出版関係の世界にいた事がある自分としては、ちょっと待ってよ。それが正しい値段でしょって言いたくなる。
でも、確かに多くは無い収入の中で、ひょっとしたらパート勤めのお母さんの月収の十分の一以上するかもしれない本は贅沢品だ。
一方、自分は正社員で、飲んだくれて、好きな本を読み、好きな映画を観て・・・。
今の社会は、そういう格差を生んでいる。
誰のせいなのか。何が原因なのか。
分かったところで、ぼくは何をする事も出来ない。
なんでこんな社会が出来てしまったんだろう。
多分、自由主義だとか、資本主義だとかいう言葉に縛られて、ぼくたちは人間として大切なものを失った。
それは、人を思いやる気持ちと行動力。
自分の損得を越えた、社会としての幸福の追求。
去年3.11の震災は、とても不幸な事だけれど、それに気づく契機を与えてくれたと思う。
でも、未だにそれに気づいていない人が大多数のような気がする。
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