2011年10月22日土曜日

カダフィ大佐死亡

ああ、事故か病気で亡くなったのか。まあ大変な時だからねえと思って記事を読んだら、殺されたっぽい。
まあ、死んだ事には違いないから「死亡」って見出しは間違いではないけど、何だか違和感がある。
思えば、サダム・フセインあたりからかな、こういうの。
本来、こういうケースの見出しは「殺害」であるべき。

最近ではビン・ラディン殺害が、やっぱり「死亡」という見出しだった。
戦争であれば人殺しは犯罪ではないというのが国際法の定めなんだろう。
しかし犯罪かどうかは置いておいて、これらは状況からして殺人と呼ぶべきものではないだろうか。本人が許し難い罪を犯しているのだからという感情論は抜きにして、客観的に状況を語れば。

日本のマスコミでは、故意かどうかはわからないけど、言葉を言いかえる事によって、印象を薄くし、世論の関心を薄くするっていう情報操作が行われている。
そう言われても仕方ないのではないかと思う。

2011年10月18日火曜日

格付け会社の存在意義

先月の米国債格下げ騒動やら、昨日今日のフランス国債(その後ろにはドイツ国債)の格下げ圧力やら、なにかと格下げ流行りだったりする。
アメリカの場合は、デフォルト懸念って自業自得、半分マジな話もあったけど、今回のフランスについては、ユーロ危機に対する対応の結果派生したもの。
そんな事言うならギリシャ破綻させようかって、某国なら言いかねない。

格付け会社って、自分の所でリスクとったりコスト掛けて評価するのが嫌な銀行や投資家が、目安出しといてよって外の会社に丸投げしたもんでしょ。
その評価が資金調達や与信に100%反映される現状が正しいのかどうか。
そりゃ、利害関係が無いなら中立な評価がされるでしょって意見と、所詮そのレベルでどこまで正しい評価が出来るのかって見解がある。
実際は、それを使って金融を回す仕組みが出来ているわけだから、正しくなくたって、いずれ正しくなる(されるか?)ってのが正解だよね。
厄介なのは、俺たちは中立で正しいっていう立場。本当か嘘かは知らないけどね。
それが、本来であれば金融立て直しに重要な政策を無効化する役割を果たしてしまっている。
考えてほしいのは、格付け会社だって、今の社会システムに乗っかった存在にすぎないって事。
その社会を維持しようとする努力に、中立ですからって水を差す行為が正しいかどうか。
世界中に広がりつつある格差拡大抗議デモを見ても思う事なんだけど、自分達は今の仕組みで正しい事をやっているって主張しても、世の中は良くならないって事。
その中でも、みんなが幸せになれるように社会の仕組みを整えるのが文明の進化というものだと思うけど、今の社会って、そういう意味では退化しているよね。

2011年10月4日火曜日

【根津権現裏】藤沢清造 著 1922(大正11)年 平成23年7月 新潮社文庫刊

「苦役列車」の西村賢太氏の尽力によって復刊された著作。
個人的には、私小説とういう分野には個人の思い入れや、周辺の人々の共通理解という事があるので、敬遠している。
だって、私小説というのは、その世界を共有しにくい=だってそうなんだもんって手段が最終的に残されているから。
でも、敢えてこの著作に触れる気になったのは、ここで主人公が過ごしている世界が、そのうち再来するんじゃないかっていう不安感から。
大正年間と言えば、明治維新から半世紀過ぎているとはいえ、民主主義や社会保障なんて未整備だった頃。
なのに、主人公の独白や描かれている周りの状況を読めば、まさにこれから来る世界ではないかと思える。
病気になっても、篤志家に、自分の人間としての誇りを捨ててお願いしなければいけない貧しい人々の世界。
その誇りを捨てられない二人。
大正時代、政府ではなく、お金持ちに事情を話して援助してもらうって事があったのかな。
まあ、政府が当てにできなければそうなるし、増税に反対している人が多いって事は、そういう流れでもあるんだろうねと、思わなくはない。
小説自体は、田舎から出てきた苦学生の物語。
そういう世の中にならないよう(著者は、芝公園で凍死しているという)僕らは考えなきゃならないんだろうな。
多分、このまま強欲資本主義の世界じゃ、この本の世界が再びやって来るのは間違いないだろうし。

2011年10月3日月曜日

ニューヨークのデモに思う

これだけ周りが苦しんでいるのに、ウォール街の連中は高給を取っている。政府に助けてもらっているのにとんでもない。金融機関助けるお金があったら、もっと景気対策に使うべきだし、そんな高給取りを助けるんなら、自分たちを助けてほしい。
そんなところだろうか。

そうだよねって、思う。
でも、金融機関を助けたのは、社会安定の上で仕方ない事だ。
問題は、その高給だよね。
日本では、同一の会社で、経営者と労働者の賃金の差が10倍を超える事は稀なんじゃないかと思う。
それは、日本の経営者は、ある程度長期的に会社を見るという風土があるからで、そこで自分の報酬が経営を圧迫するレベルなら自制が働くって事かな。
経営を短期間で見るのなら、自分は貰えるだけもらって、会社のポテンシャルを使い尽くしてって考え方もある。でも、それじゃあ将来が見えない。
どちらが会社にとって有益かは、まあ判断が分かれる所なんでしょ。現状、両立しているのを見れば。

失業率が高いのは、ウォール街のせいじゃない。
効率を求める社会で、新しく雇用を増やす産業が無かったから。
ウォール街の連中は人間の恥かもしれないけど、今の状態を招いた原因ではない。
そもそも、そんな能力は無いんだし。

しかし、歪な場所であることは間違いないんだから、そこでデモをするのは、間違いとは、一概に言えない。
方向違いのアピールであっても、自分たちの状況をアピールするって大事だよね。

2011年10月1日土曜日

諦観なんだろうか

2011年3月11日金曜日、大震災の日。
自分も都下の勤務先で経験したけど、あの長くて気持ちの悪い揺れは、嫌な感じがしたものだ。
とりあえず、全員駐車場へ避難。ラジオから入ってくるニュースは最悪だった。津波の高さは間違いだと思った。
30メートル?3メートルの間違いだろ。などと思っている中、多くの人命が失われた。
結局、首都圏では当日はJR線は動かず、私鉄も夜遅くなってからの運転再開。長い距離を歩いて帰った人もいる。
多くの惨劇を生んだその震災から半年以上過ぎてなお、震災とその津波で引き起こされた原発事故の収束は見えない。
その中で、今後10年以内に震度7以上の地震が関東に起こる可能性が70%という予測が発表されている。

先日、思いがけなく入院する羽目になり、みなとみらいの病院の10階の海が見える病室で10日ほどを過ごした。
その入院先の病院で、小さな地震に遭った日、看護師さんと震災の話をした。
看護師さんは、震災当日は家に帰れなくて病院に泊まったと言いながら、10年以内に首都圏直下型の地震の起こる確率は70%っていうけど、次の地震が来てもここで働いていると思うと言っていた。
あの津波が来れば、この病院も一飲みだろう。過去に例がないと言っても、埋め立て地だ。
実際、目の前のパシフィコ横浜が、帰宅困難者のために一旦解放されながら、警戒水域となったため、退去指示が出たという事実がある。
津波がなくても浦安のような液状か現象による地盤沈下や、もっと酷い状況にならないとは言えない。
自分もそうだが、あれだけの大惨事を見せられてなお、大多数がその可能性の高い場所に居続けるというのは、正しいことなのだろうか。
他に行っても生活が出来ないとか、そういう不安もあるんだろう。
それとも移民という文化を持たない国の特質なんだろうか。

国としては、そのような事態になった場合の危機管理をしっかりしておくべきだ。
国民の生命を守るという観点から防災拠点を整備すべきだし、首都機能の分散を含めた行政機能の危機管理など、ある程度の予防避難対策を行う義務があると思う。
しかし今現在、与党、野党共に全くその動きが見えないのは理解に苦しむ。

現在、この国はデフレや円高に苦しんでいるが、対策費と称して訳の分からない補助金をばらまくくらいなら、将来の防災対策をきっちりと行うべきだ。
行政機能の分散は、移転先の地域活性効果が見込めるし、万一の時に、結果として多くの人命を救うことが出来るからだ。
もちろん、政府や政治家が「大丈夫。首都圏直下型の地震なんて来ないよ。来たって、自分が責任をとれる範囲。」って十分な根拠を持って言うならいいけど、そうでなければ、彼らは将来の殺人者であることを自覚すべきだ。
現状を、そのまま転がして行くことなら、誰だって出来るし。
将来に備えて準備していくのが、政治家に求められる最低限の資質だと思うんだけど、国民は、そのレベルを超える政治家を持てないって言われているし、自分たちがちゃんとしなきゃダメなんだろうなと思いながら、この文章を書いている。