2011年12月3日土曜日

今、原発を考える

東日本大震災により発生した大津波で破壊された福島原発。
そこから放出されている放射線の影響で、周辺地域に住んでいる人たちは避難を余儀なくされているし、更に広い地域で農作物の被害が出ている。
水産物だって、無事ではないだろう。
除染作業を行うと言っても海中では不可能だし、半減期が長い元素については、食物連鎖による世代間の蓄積が問題となってくるだろう。
壊してしまった環境は本当に取り返しがつかない。
しかも、今なお放射線を放出し続け、今また炉心のメルトダウンの進行が話題になっている。

今後仮に原子力発電所で事故や災害が起きなくても、放射性廃棄物の方法が確立されているわけではない。
原子力発電所はトイレの無いマンションに似ていると言われる。
人は生きている限り食事と排泄を繰り返すように、原子力発電所も放射性燃料と廃棄物が出る。
しかし人の排泄物は、環境に負荷をかけるなく(臭気とかは別として)短時間に分解されていくが、放射性廃棄物は、種類によっては人類が生まれてからの時間を越える時間をかけて崩壊していく。
原発が、どんなに安全だと言っても、そこから産出される廃棄物が安全でなく、永久に安全に処理する方法は無い。
そういう中で、原発を推進して行こうと考えている人たちの頭の中はどうなっているのだろう。

子供の頃、生まれた土地の近くで原発建設計画が発表され、地元住民の粘り強い反対運動と、町長のある意味超法規的な手法で、計画撤回となった事がある。
その頃、年1回、家族旅行であちこちへ行っていたが、鬼首の間欠泉を見ながら地熱発電を知り、原発反対運動を見て、太陽光はもちろん風力や潮汐力といった発電方法がある事も知った。
あの頃から、随分時間が経ったが、そちらの発電が方法が大きく取り上げられる事は、今回のソフトバンク社の孫社長によるメガソーラー騒動まで少なかった。
原発につぎ込んでいた開発費の10分の1でも、つぎ込んでいたらどうだったろうか。
原発は、発電効率が良くて、兵器への転用もできる事から、冷戦時代には国策で開発したのかもしれない。
人間の生存という事を考えて開発された技術ではないのだから、なぜ未だこの技術に依存しようと考えるのか。
日本の場合、東芝や日立と言った大手企業がその開発に大きな投資をしている事と無縁ではないだろう。
特に東芝は、アメリカの原発大手ウェスティングハウスを買収するなど、グループの中核事業に位置付けているようだから、ここで原発開発が止まってしまえば致命的なダメージを被る事になる。

人類の生存と企業の存続。どちらが大切なのか。
考えるまでも無い事だと思うけど。

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