2013年12月29日日曜日

靖国神社参拝問題を考える

日本の政治家が靖国神社へ参拝する事で、中国・韓国から批判を受ける。
今回はアメリカ合衆国からも批判が出た。
なぜ日本の政治家が戦没者を慰霊するために神社へ参拝する事が批判されなければならないのか。
それについては、事の是非ではなく政治の問題になっていると思う。
はっきり言って、中国・韓国の主張は情緒的で、国民に他の問題から目をそらせるためのパフォーマンスとしか思えない。
アメリカ合衆国の批判は、文字通り東アジア情勢の不安定化への懸念だろう。


それは別として個人的には次の理由から靖国神社への参拝は好ましくないと考えている。

そもそも靖国神社は明治維新以降の政府側の戦没者を慰霊するための東京招魂社を前身としている。
なぜ、わざわざそんなものが必要であったのかと言えば、それまでの長く続いた徳川幕府支配の威光を完全に封じるため、自らが正義という差別化をはっきり示すものが必要であったからだろう。
つまり、その本当の精神は、自らの立場を強化・正当化するため。
国家建設のために命を落としたものを慰霊するという大義名分は、反対しにくいものがあるし。

そして、それが後に「靖国で会おう」という言葉を生んだ。
命を賭した愛国心という見方ができるが、一方で当時の社会状況では、それを言わなければ家族が守れないという現実もあったのではないか。
戦争で亡くなった人たちの魂は靖国神社より、愛する家族の元に帰りたいのではないかと思う。
そして残された家族は、愛する人を国家に奪われたという気持ちを靖国神社という存在をもって逸らせる効果があったのではないか。


権力を持った者が靖国神社に参拝するという事は、そのことを肯定するに等しい。そう考えるからだ。

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