2017年6月4日日曜日

幸福追求権のインフレ

 地方で暮らしていると、人口減少と高齢化の問題とはいやでも向き合う事になる。
かつて、そこそこ人が暮らしていた町で人口が減ると、そこそこ整備されていた公共財の維持管理がままならないな…なんてのは、そこに暮らしたことが無くても誰でも気づくところ。
 市道、県道の雑草処理もできないから、傷んだ舗装の隙間に生えた雑草が根を張って更に舗装が傷んでくる。その隙を作るのが水道、ガス管なんかの地下埋設物の掘り起こしでパッチワークのようになった舗装だったりする。
 計画的にやるにも統括的に見て検討するセクションが必要で、そういうセクションを維持しようとすればコストがかかるから、リストラ。場当たり的な対応で、予算ありきでやるからそういう状況が生まれているのだろう。
 そのインフラも少ない人口が点在するような地域では維持が難しい。だって、利用する人が少ないんじゃ維持管理費の出所が無いんだから。
 しかし、文化的生活をする権利とか言われたらなんとかせざるを得ない。そんなところでは働き手もいないから働く場も少ない。少ない賃金、良いとは言えない労働条件でもでも働かざるを得ない。低賃金長時間労働で、地域に関わる時間も気力もわかない。
 一方で、自動車が無いと買い物にも仕事にも行けないとか、生活保護を受けていてもスマホは必須という主張がそのまま通っていく。
 本当にそうかと言えば、必ずしもそうではない。
 かつて自動車はもたない家が多かったし、スマホなんて登場したのは最近ことだ。
工夫次第でどうにでもなることを、不便だからという事で無理をして持っている。
 もう、自分で自分の首を絞めているようなもの。なければ不便という意識を持たせて、本来持たなければ済むもので利益をあげる会社はその地方には何の恩恵ももたらさないわけで、どんどん地方を疲弊させていく。
 収入が上がる見込みはないが、支出だけは増えていく…人々が必要と思う幸福を追求するのに必要なコストはどんどん上がって行く。中身が伴わない幸福追求権というのはインフレ状態だ。

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