2015年12月30日水曜日

従軍慰安婦の日韓政府間合意

この問題は、韓国政府が介入した事が問題だったんだと思う。謝罪と賠償と言っても、戦争責任の問題は国家間では解決済み。
戦争の被害について言いだせば、回復不能ないろんな問題が山積み。米軍の空襲で焼き殺された人はどうするとか。
ああいう無差別殺人でも終戦協定によって罪には問われないし、賠償もない。
それが戦争というもの。
ぼくたちに出来る事は、二度とそういう過ちは繰り返さないという事と、被害を受けた人がちゃんと暮らせる社会をつくる事。

戦争で被害や不利益をを受けた人たちの原状回復は出来ないし、心の問題については他人が解決なんて出来ないんだから。
それを国を挙げて曝して、援護して収拾つかなくしてしまったんだよね。
慰安婦の人たちが集まって暮らす家というのが報道で出てくるけど、韓国では結局彼女たちを社会に受け入れる事をしなかったという事だろうか。

それなのに、今度は国家間で彼女たちに事前の説明なく合意したという。
そもそも、彼女たちの心の問題に国家が関与する事は出来ない。
韓国政府は出来ない事を政治カードとして利用してしまった。
悪いのは日本で、謝罪の言葉と賠償金はとってやった。それはそうかもしれない。
でも、彼女たちを受け入れなかった社会を変える必要はないのかな。

そういう事を含め、考えて直していかなければならないんだろう。

2015年12月27日日曜日

トレードオフ

トレードオフと言うのは、あちらを立てればこちらが立たずって関係の事だけど、世の中はそのバランスをどうとっていくのかってのが重要な問題になるものだ。
人それぞれの立場が違い、利益が異なる中で、どう調整するか。
個人の問題なら、価値観・生き方って事で完結するんだけど、その個人が集まった社会になると、それじゃあ済まない。

政治の世界は、それが誰にでも見える形で現れる。

例えば社会福祉。
障害や低所得なんかで年金や生活保護を貰っている人がいるとして、増やそうとすれば、増やすお金をどこからかもって来なければならない。どこかを減らすのか、税金を上げて対応するのか。
減らすと言っても、そもそも無駄なものかどうかの吟味からだし、他の福祉財源が削られるかもしれない。減らすと言っても限度があるわけで。
税金を上げるとすると、低所得者の生活を圧迫しかねない。そうすると…

例えばTPP。
関税を撤廃すれば、海外の安い労働力や生産性の高い方法で安く作られたものが入って来る。
一方、国内の生産者は最低賃金もあるし、生産性を上げるにも限度がある。
安くなれば消費者は助けるけど、生産者は仕事を失う。
生産者を保護すれば、消費者は割高なものを買わなければいけない。

バランス良くというけれど、バランスなんて取られる側からすれば理不尽なもの。
一方の立場から見れば他方の立場は不当なものに見える。

ものを考えるとき、マスコミの報道を見るとき、何か決断をするとき・・・、その事を弁えておかなければならない。
他者というものがある世界では、絶対の真理は無い。
あるのはトレードオフというフィルター越しに見える風景なのだという事を。

2015年12月14日月曜日

政治という器官

伊藤計劃さんの小説、「虐殺器官」
増えすぎた人口を調節するために人に人を殺す遺伝子があって、その遺伝子を持った人を…という。
人体にホメオスタシスという機能があるのだから、人という種全体をコントロールする機能もあっておかしくないという発想かもしれないけど、そういう考え方は面白い。

実際に虐殺遺伝子があるかどうかはともかくとして、現実的にそれをコントロールするのは政治家と言われる人たち。

政治家は、多種多様な人たちをまとめ、生活を改善する機能を持つ。
それは、地域によっては世襲であり、あるいは指名され、あるいは選挙で選ばれる。
いずれ、その力の源泉は積極的、消極的は別として周囲の人たち・社会の支持だ。
その支持を根拠として、義務をつくり、行動を束縛する。

支持はリアルタイムなモノじゃないし包括的なものではないから、そんな筈じゃないって不満も出る。それが大きなものであれば支持を失う。
支持を失っても権力を維持できる基盤があれば続いて行くけど、その集団の中の異物であるから、集団が支持するように変わらなければ排除しようという生理が働く。
細胞のがん化みたいなものか。

政治は、それ単独で存在できないもので、社会を動かす便利なものだけど、本来の役割を忘れればがん細胞と同様に宿主を殺しかねないモノである事を忘れてはいけない。

2015年12月11日金曜日

軽減税率という言い方

消費税増税に伴う軽減税率が話題になっている。
そう、話題。議論じゃない。
だって、話しているのは政権与党の自民党と公明党。周りは、それに対してブツブツ言っているだけだもの。
で、それぞれのスタンスは決まっていて、結局選挙対策なんじゃないかと。

軽減税率に関して
○反対・懐疑派
1.財源の事を考えたら公明党案は有り得ない
2.軽減税率適用・不適用の線引きが分りにくい
3.食品に軽減税率を適用したら、食品の支出金額が多いであろう富裕層優遇だ
4.インボイスを発行する手間が煩雑で、かつ益税が生まれる
○賛成派
5.一般市民にとって食料品の値上がりは生活を直撃する
って話かなと思う。

5の賛成派の話はそうなんだと思う。増税されれて、本体価格が変わらなければ、手持ちのお金で買う事が出来るものは減るからね。
全員の所得が増えるのならそれも良し。でも、年金支給額って減っていくんじゃなかったっけ?

でも、社会保障にかかるお金はここから捻出しようって話だから、そっちに金が回らないよ、と。
1は、その事を言っている。

2、3については、そういうもんだと割り切るのが当たり前なんだよね。
これを言う人が忘れているのは、消費税の非課税・不課税品目の事。
消費税導入の頃からずっとあるこの品目について議論しないのと一緒。決めたらそういうもんだと言うしかない。
ただ、恣意的に適用範囲が決められるとなれば汚職や不正の温床となるから、決めるにあたっては透明でキッチリした議論が必要。
自民・公明だけで決めてるようじゃ問題外。

4については、ちゃんとやれよって話でしかない。
ITが普及してるんだから出来ないわけない。
日本の消費税は、課税取引に対して一率同じ税額で課税する事で、納税・徴税のコストを下げている訳で、税の専門家は「軽減税率なんてやらない方が言いに決まっている」と言う。
効率で言えばその通りだけど、税金は何なためにあるか。政治の役割は何かと考えれば、自ずと違う答えが出るんじゃないだろうか。

結局、反対理由で相手にする価値があるのは1の問題だけだと思う。まあ安倍内閣は財源問題を先送りして公明党案を丸飲みしそうだけど。これは、きちんと財政の見直し、削減をしなきゃいけない話。
特定の産業からの政治献金もらって優遇税制とかやってる場合ではないんだよね。

消費税が導入される前は物品税と言うのがあって、対象品目別に税率が決まっていて、メーカーが倉庫の入出庫記録なんかを基に納税してたわけだけど、商品ごとに税率が違っていいんだよ。
若しくはガソリン税のように消費税とは別に課税するとか。
3のように富裕層への課税を言うなら、例えば、そういう形で課税する事を考えるべきだろう。
月10万円の手取り(それ以下の人も大勢いるだろうけど)でアパート借りて生活してみたら、2%の増税がどう影響するか身にしみてわかると思う。

これは。本来「軽減税率」じゃなくて「複数税率」の議論にすべきなんだよ。

2015年9月14日月曜日

安保法制の問題点

安倍内閣が進める安保法制が民主党をはじめとする野党から「戦争法案」だと言われて揉めている。
議席数から言えば国会は通るのだろうが、昔の安保闘争以来の規模のデモが起きている。

この問題点は、実ははっきりしている。
歴代内閣が踏み込まなかった海外での他国と連携した後方支援活動の容認。
それ自体が健保に抵触すると言われる中、憲法解釈の変更と言い繕って、戦争状態の所では活動しないと言うが、後方支援であれば、そこまで戦闘区域が拡大するリスクは高いはずなのに、内閣はリスクはないと強弁するなど、内閣の言う事が信用されていないという事。

これまで出来ないと言ってきた事が、一内閣の解釈変更で可能になるにであれば、今の内閣が絶対にないと言っても、将来的に解釈を変更する可能性もあるだろ。安倍内閣は信用に値しない。って話だと思う。

憲法改正論から入っていれば、ここまでヒステリックな事態にはならなかっただろうなと思う。
何事につけ現状を誤魔化して対応すると言うのは周りに信用されないし、将来に禍根を残す事になる。
それは政治の世界に限らない話で、プライベートでも経験するものだと思うけど、何不自由なくお金持ちの政治家の家に育った安倍のおぼっちゃまは、問題があっても気付かず、無視したり踏みつけにしたりして生きて来たのかもしれないな。

2015年3月3日火曜日

川崎中一男児生徒殺人事件に思う

地方の島から川崎に引越してきた少年は、深夜、遊び仲間の年上の仲間に惨殺される。
殺害現場は、ニュースで報道されたせいもあるのか花やお供え物でいっぱいだ。
 彼を悼むと同時に、同じ事が起こらないために、何故それが起こったのかを考えてみたい。

人懐こい少年であったらしい。
しかし、何故彼が深夜に出歩くようになったのか。
同じ年の学校の同級生ではなく、年上の仲間と遊ぶようになったのは、学校や同級生との間に、何かわだかまりがあったんだろうか。
そして、そんな行動を同居していた家族(この場合は母親)はどう感じていたのか。

深夜に出歩かないというのは一世代前の感覚だと言う人がいる。
工場だけでなく24時間営業の店が当たり前になっている今日、そういう場所で働く人だけでなく、とり立てて予定が無い人にとっては関係の無い話だと。

子供は、深夜で歩いてはいけない。
なぜそうなのか。
一つには、その時間帯に出歩いている人たちは生業についていないとみなされてきたからだ。
もう一つ。その時間帯は人通りが少ない上、あかりの届く範囲が限られるため、人の目につかないと言う事。
それは深夜が犯罪に適した時間帯であり、そういうものに巻き込まれる可能性が高まる時間帯であるからだ。
 判断力が無い、体力や体格に劣れば、危険に遭遇した時の対応が難しい。

終夜営業の店が増えた今日の社会ではどこでも起こりえる事件であると同時に、そんな時間に遊びに行かなければ避ける事が出来た事件かもしれない。
 最も罪を背負うべきは、もちろん殺人者であり、それに関与した者たちなのは議論の無い所だが、もう一つ注目すべきは母親の生活。
 子供が学校へ出かける前に仕事のために家を出て、帰宅するのは深夜。
 それが日常であったらしいが、生活のため、仕事自体そうせざるを得なかったという話なのだろうか。
 通勤時間によるが、一つの会社で毎日そのような勤務をしていたのなら、その会社は労働基準法違反の疑いが濃い。それとも生活のためにダブルワークをしていたのだろうか。
 母親と言えど、一人の人間なので自分のやりたい事、やりたくない事はある。自分の時間も作りたいだろう。
しかし、優先順位があって、それは多分子供を育てる事だと思う。
 そこをどう考えたのか。
仮に、そのような働き方をしなければ生活が出来ないのであれば、生活ぶりはどうだったのか、賃金は適正だったのか、公的扶助はどうだったのかという社会全体の問題がある。
これは第一に社会福祉と言うより、通常に生活する上において十分な賃金が支払われていたかどうか。

株価が上昇している事を良い傾向だと喜ぶ人が多いが、もともと日本企業は株主への利益還元より経営環境の変化に備えた内部留保や再投資、従業員の福利厚生や賃金にあてる傾向があった。
現在は、株価至上主義の考え方から利益の株主への還元を強く求めるようになった結果、株価を上げるために投資家に受けの良い経営政策、利益処分を行う方向にある。
現在はその結果の株高でもある。
かつて、会社は社会の公器としての役割も求められたが、現在は公器としての役割よりも株主の利益を尊重するようになっている。
会社は誰のものかという問いの答えは立場により異なる。
しかし、会社が社会に立脚して存在する以上、公器としての役割を果たすべきなのは自明のことだと考えるが、どうだろう。
 賃金の上昇率より物価の上昇率が高く、賃金の格差も広がりつつある現在。今後もそのような世帯が無くならず、同じような事件が起こりはしないか。
 部外者で、わからない事ばかりだが、そんな事を考えた。